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壮大な歴史の不思議を新たな視点で紐解く。「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産」が京都市京セラ美術館でスタート。

展示風景
レポート

文=黒木杏紀

 1974年、中国の陝西省の畑で井戸を掘っていた農民が偶然発見した「20世紀最大の考古学的発見」と称される秦の始皇帝の兵馬俑。秦漢両王朝の中心地域である関中、現在の陝西省の全面的な協力のもと、このような世界的に類を見ない史跡が作られた謎と兵馬俑の大きさの変遷を紐解く展覧会「兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産」が京都市京セラ美術館で開幕した。

 秦の始皇帝の死後を2000年以上の間守り続けてきた兵馬俑。その数は約8000体と推計されているが、今も発掘調査は続いている。本展では、秦漢両王朝の中心地域である関中(現在の陝西省)の出土品を中心に、日本初出の一級文物(国宝級を指す中国独自の区分)や兵馬俑36点を含めた約200点が集結。

 展覧会は、「第Ⅰ章:統一前夜の秦-西戎から中華へ」「第Ⅱ章:統一王朝の誕生-始皇帝の時代」「第Ⅲ章:漢王朝の繁栄-劉邦から武帝まで」の3章構成。展示の順は変則的で、「第Ⅰ章」、「第Ⅲ章」、「第Ⅱ章」となり、秦の始皇帝の時代が締めの展示となる。春秋戦国時代、秦、漢の時代を通じて人型(ひとがた)の「俑(よう)」の大きさの変遷をテーマにする。戦国時代の極小の騎馬俑が、始皇帝陵では等身大の兵馬俑となり、また漢代皇帝陵では小さな兵馬俑に変化した歴史の不思議を実際の遺物で観察ができる。

 第Ⅰ章では、春秋戦国時代の秦公と呼ばれていた一介の諸侯の時代から秦王の時代への流れを、展示品を通じて見ていく。まず、はじめに目にするのは素朴な顔をした兵士が馬に乗る小さな《騎馬俑》(一級文物:国宝級を指す中国独自の区分)。始皇帝時代のものと比較すると小さく高さは22㎝、写実性に欠けるがぽってりとした愛らしいフォルムである。

 当時、東方の中華の国々は中原西側の僻地に位置する秦を夷狄(いてき)の国として「虎狼の国」、秦の君主を「虎狼の心」と呼び、軽視する傾向があった。秦の国は中原の文化を取り入れながら西方遊牧民の素朴さも備え持ち、西方との交易の利も得ており、特に馬を養う功績を大きく認められていた。馬具など秦ならではのものも多く出土しており、天子の車の馬の首につける《青銅鑾鈴》(せいどうらんれい)などもそのひとつである。
 また、調理道具のひとつ「甗」と呼ばれる食物を蒸すための展示品からは当時の食生活の様子もうかがえる。例えば、現在の中華料理に見られる「油で炒める」調理方法はまだなく、焼く、蒸す、煮るが当時の調理の中心であった。

 次の第Ⅲ章(第Ⅱ章は後に回す)では、漢王朝の繁栄の時代に焦点をあてる。秦の始皇帝によって、初めて統一国家となった中国だが、急激な変革と厳しい法による支配の強化は中国史上最初の農民反乱を招き、秦は滅亡。次の漢王朝では秦王朝の法制度は引き継いだものの、秦文化を継承することには抵抗があったようである。
 1965年、秦の始皇帝陵からそう遠くない場所に、漢の高祖劉邦の陵墓である長陵の中から発見された漢の兵馬俑。同じ焼き物の兵馬俑でも、秦と漢時代のものと風格はまったく異なる。秦の俑は「写実」的で実物大サイズ、容貌も当時の時代の人とあまり変わらない。それと比較して漢の俑は個性のない顔立ち、デフォルメされた姿、高さ50㎝たらずで秦時代のものと比べても明らかにミニチュアサイズ《彩色歩兵俑》。部分的に木製が使用されているものや着衣式タイプなどもあるが、木や布の繊維質の素材は腐りやすく残されてはいない。

 この時代の展示で他に注目すべきは《鎏金青銅馬》であろう。すらりとしたその躯体は明らかにそれまでにはなかった西域の馬である。漢の時代の歴史書に登場する中央アジアの馬《汗血馬》(血の汗を流す馬)は名馬中の名馬として、中国の為政者、武人に垂涎の的だった。

 最後となる第Ⅱ章では、秦の始皇帝の時代を紹介する。大きな見どころは、日本初公開となる一級文物の《戦服将軍俑》であろう。出土した8000体の兵馬俑のうち、将軍俑は11体のみ、そのうちの1点である。高級武官であるその姿は、髭をたくわえ精悍な顔つきが印象的である。高さは196㎝、その雄姿は迫力満点。この時代の兵馬俑は、一体一体実在の人物に似せて作られているという。

 始皇帝の王の時代の三年に呂不韋が製造の責任者であることが記された《青銅戟》にも注目したい。2000年以上も前の始皇帝と呂不韋の物語が思い浮かんでくる人も多いだろう。

 本展のテーマでもある冒頭の兵馬俑の大きさの変遷はなぜ起こったのか。戦国時代の極小の騎馬俑が、始皇帝陵では等身大の兵馬俑となり、また漢代皇帝陵では小さな兵馬俑に変化した歴史の不思議。その答えは、春秋時代の中国の思想家、儒家の始祖である孔子が残した次の言葉に秘められている。

生き生きとした俑を造ったことで殉死が始まった

当時の中国では「個性を写した像には生きた人間の魂が乗り移る」と考えられていたため、モデルに似せることは避けられていたのです。あえてタブーを犯した始皇帝の意図はいまだ明らかにはなっていません。しかし、万里の長城を作り、度量衡を定めた始皇帝が死後の世界を規定しなおそうとした野望の現れだったのかもしれません。

展覧会内映像「俑の大きさの変遷」より 

 

 他にも、春秋戦国時代を描いた人気漫画『キングダム』を通して時代背景を伝える展示コーナーや、始皇帝陵や漢の皇帝陵とエジプトのピラミッドとの類似性を衛星画像から追及するなど、世界史からの観点で秦漢文明の遺産を観察する、新しい点も加えた興味深い展覧会となっている。

開催概要 

日中国交正常化50周年記念 兵馬俑と古代中国~秦漢文明の遺産~ 

 会期 2022年3月25日~5月22日
 時間 10:00〜18:00 ※入場は閉館の30分前まで
 会場 京都市京セラ美術館 本館北回廊2階
 住所 京都市左京区岡崎円勝寺町124
 休館 月曜日(ただし5月2日は開館)
 料金 有料 ※予約優先制、ホームページでご確認ください。
 公式サイト https://heibayou2022-23.jp/

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